木を買わず山を買え

拾った本

ひとつの山ではえた木をもってひとつの塔をつくる、堂をつくるちゅうことや。木曽の木や吉野の木やら四国の木を、まぜてはならんということですわ。木というのは土質によって木の質が違うし、育つ環境によって木の癖がある。木を買おうとするなら、山の環境を見て、木を買えということですわ。

西岡常一/木に学べ 法隆寺・薬師寺の美(小学館文庫)

これは僕が強く影響を受けた本の一節。東京の武蔵野で苦学生をしていた20代前半のころ、アパートの前のごみ捨て場に捨てられた本を読んで過ごしている時期があった。お金はないけど、時間はある。そんな時間の使い方をしたくて、バイトもせず、わずかなお金で毎日を過ごしていた。

捨てられていた本は、興味のあるものからないものまで様々で所有者の興味を探りながら、「何のために読んでいたのか」、「どのように読んでいたのか」、「どこで読んでいたのか。」なんてことを想像しながら読むことが楽しかった。

その中でもこの本は著者の考えが鋭く特に興味を覚え気が付けば自分の蔵書棚に差し込まれ二度の引越しでも捨てられることなく、十数年一緒に暮らしている。この本のどこに魅かれたのかと改めて考えてみると、西岡さんの現代のスタンダード(科学や基準)を痛烈にまたあざやかに批判し、棟梁としての辿り着いた自然観、多様性、資本主義からの脱却など、カウンターカルチャーのような癖がにじみ出ていて、そのカウンター感に強く惹かれたのだと思う。当時、ウィリアム・バロウズのカットアップを訳もわからず読みはじめたころでそれから少しずつカウンターカルチャーの深みにハマっていった。いま改めて考えてみると、ビートジェネレーションが見ていた東洋思想というものと、西岡棟梁が口伝で言い伝えられたその思想がイコールで結ばれるのでは、、、、、そんな解釈をしながら、改めてこの本を読むのが面白い。

そもそも、石場建てという構法を知ったのもこの本から学んだ。なぜ石場建てなのか。ということについてもじっくり向き合っていこうと思う。

そして天竜へ

まだコロナの自粛がはじまる前の話のこと。僕は杢巧舎のチョウハシさんとその弟のリョウくんと天竜へ向かった。今回、見学に伺ったのは静岡県天竜市にある株式会社フジイチという製材業を営む会社だ。僕が普請を依頼する杢巧舎がこのフジイチから製材を調達しているという関係性だ。

見渡す限りに切り出した丸太が並んでいる。これだけの杉と檜と考えるだけで花粉症の僕は憂鬱になる。しかし思いのほかアレルギー反応はでない。昨年この時期に訪れた和歌山ではひどかった。アレルギーに相性があるのかどうかは分からないけれど、僕の心は少し安心した。どうやら天竜の杉檜は大丈夫みたいだ。かつて、紀州の杉で家を建てた友人の家を訪れたときダメだった苦い記憶が残っていた。

木の種類、太さ、年輪の詰まり具合、乾燥方法、、、、製材されるまでにいくつもの物語がある。製材関連のパンフレットを見ながら木の良し悪しを受けて良いことは解るんだけど知識で詰め込まれてもよく分からない。家というものは空間づくりであって、知識で満足して過ごすことももちろんあるが、それ以上に五感を通して満足したいという思いがある。

天竜という土地にきて、木を見て触って、山を見る。できれば土の匂いも嗅ぎたかったがそれは子供を連れてまたの機会に来るとしよう。

杢巧舎の親方が信頼している木がここにあって、その木を見て自分が納得できるかどうか。自分が生涯かけて投資するであろう材料がここにある。本当にこれで自分が納得出来るのだろうか。そんな疑問を投げかけながら製材加工をひたすら眺めていた。

墨付け

この墨付けには本当は意味はないんです。もし、この木材を使って建てた家が解体されたとき、家を解体した施主の子孫の方が「天竜」の木を使ってご先祖は家を建てたんだなぁ。そんな会話がされることを願って、一つ一つ手作業で墨付けしています。墨は消えることはないので。

その日、心に一番響いた言葉はそれだった。とても意味のあることだと思ったし、そこまで物語を描いて仕事としているなんて、なんて素敵な仕事何だろうといたく感動した。なにより、そのクオリティが美しい。

このパンデミックによって、これからの働き方や暮らし方も見通しが立たなくなった。不安になるし、行動志向が衰えやすい。

これまでもこれからも、人間の営みがある限り家は建てられ朽ちてゆく。限られた資産と資源で、最高の質を求め、できる限り環境への悪影響を抑える。その家づくりに関わる方、全員を敬う。なにより、既成概念にとらわれることなく日本古来の伝統的構法(石場建て)で家を建てる。構法や様式、様々なプロセスをとらわれることなく再構築(再編集)する。ということ。このパンデミックのおかげで自分の中の基本的な行動指針は徐々に明文化されつつあるように思う。

大好きな航海士ナイノア・トンプソンがポリネシアの伝統航海術を復活させたように、迷い・悩み・不安に溺れそうになりながら、自分らしい暮らしをみつけていきたい。と思えるようになってきて俄然楽しくなってきた。

「製材所を見学しに行った」というだけなのだけれど、それをアウトプットしようとすると思いがけけない発見がある。こういう作業はやっぱり面白い。

そういう訳で、みなさん引続きキープインタッチでお願いしますね。このプロジェクトに興味が湧いたらどんどん声をかけてください。

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