よいとまけから一年が経ち、いまは地面を叩いたその上に暮らしている。現在進行形でレポートしていこうと思っていたものの、上手く進まないこともあり、手をとることなくその手記は止まってしまった。
そして、いま一年前を振り返りながら、改めて「よいとまけ」について書き留めておきたい。
「よいとまけ」とは、基礎となる礎石を据える前にその地面を締め固める行為だ。石場建ての家を建てるに当たりこの行程が最も重要で最も困難な作業になる。ということは、もちろんいまだから言えることだ。
去年の今頃は週末になると現場に通い、とにかく地面を叩いた。この地面を叩くという行為はとても原始的で直感的だ。穴を掘り、地面の地質の具合を見て触れて観察し上物の加重のかかり具合を想像しながら、締め固め具合を調整していく。この作業工程を通じて、小さな敷地の中でも土地の強弱があり、土の特徴や性質を把握することが出来た。サウンディング試験やボーリング試験だけでは把握出来ない表層から2m付近の地質状況を面的に把握することができた。
ミクロの地質を観察しながら、周辺の景色を眺め全体の地層や地質を想像しこの土地がどのように形成されてきたか想像することは、たまらなく面白いことだった。何よりその行為を共有できる仲間が身近にいたこともまた幸いだった。
作業としては単純で、穴を掘り、割り栗石を敷き、砂利と砂で空隙を埋める。そして、丸太で叩き締め固める。これを3層~5層程度繰り返し礎石を仮据えして次の穴を掘る。これを50カ所行うのだ。土を掘る度にその箇所の地層が頑固であることを願うことが続いた(実際は想定していたよりも脆弱でより深く、多層によいとまけを繰り返した)。
地面が締め固まっていく実感はその場にいると感覚的に分かる。土の締まる音、地面の振動具合、丸太の返り具合など繰り返していく内にその感覚は研ぎ澄まされていく。この仕事の経験社はほぼゼロ。その場にいる全員であーだこーだ議論を交わしながら進んでいく。どれも正解はなく、それぞれの経験と感覚ですべては決定される。施主として責任を見極めながら自分が納得のいくまで地面を叩いた。
この「地面を叩く」という行為は、土地に「魂を込める」ということに等しい。家を建てるという強い決意とこの土地で暮らしていく覚悟を丸太に込めて力一杯に叩く。一日叩いているとフラフラになるし、次の日は使い物にならない。まさに命を賭けて、魂を込めて家づくりと向き合っていた。
もう悔いはない。と言い切れるくらい気合いをいれて叩いた。これ以上は出来ないし、やれることはやった。万が一、災害や何かで基礎から家が崩れることがあろうとも、そこに後悔はない。
こどもたちは地鎮祭を終えた土地を見ると「次はよいとまけだね」と口を揃えて言うようになった。「虹の戦士」はこうやって生まれ育っていくと信じている。