ヨイトマケが一段落すると、いよいよ『上棟』の二文字が脳裏を過りはじめる。いまになって振り返ってみれば、上棟の本当の大切さが分かるように思う。
上棟とは、書いて字の如く「棟を上げる」ということ。すなわち、建築としてこれまで二次元の図面上(もしくは脳内のイメージ)にあったそれが、この現実の世界に物体として現れる現象だ。
今回に限っては、「石場建て」という工法を採用したことから、上棟までの道のりも困難を極め、ヨイトマケや確認申請などの作業や申請に数ヶ月を要した。出来るか出来ないのか分からない中、何とか目標を達成するために覚悟を決め、辛抱し肉体をフルに使って自ら出来る事はやり通した。
そして、迎えたのがこの上棟前夜の追い込みだった。
いつもの通り下小屋に見学に行き、着いたその瞬間にいつもとは異なる緊迫した空気がそこにあることを目の当たりにした。
墨付けを担当してくれた棟梁に加えサポートの職人だけでなく、結いの精神で応援に駆けつけた大工が上棟にむけて木材と向き合っている。緊迫した空気の中、鉋をかける音が下小屋に響き渡る。施主として流暢に声をかけることは出来ないくらい、その場は張り詰めていた。
こうやって振り返っている今でさえ、そのときを思い出すとなんだか胸がこみ上げてくる。僕はかんなくずを眺めながら、一つの動作が終える度に柱が仕上がる様をただ見守り続けた。
見慣れない大工に声をかけると、彼は沼津から応援にきていた大工だった。なんだか懐かしい訛りで出身を聞いてみれば青森県出身だった。そして、その微笑みがまた優しかった。ゆっくりと集中して鉋をかける。柱がどんどん磨かれていく。
暮らしはじめてみて、柱を触り、その質感を感じる度に彼の微笑みと青森の訛りが脳裏をよぎる。住まいながらに作り手の仕事を常に感じ続けているのである。
建築にとってデザインはもちろん重要だ。
しかし、住まい手が作り手の仕事を暮らしながらに感じ続けられることは、もっと重要なのかもしれない。なにより、大切にしたい気持ちがありつづけるからだ。もちろん暮らしていれば家は傷つき痛んでいく。いくら大切にしたい気持ちがあっても、傷はつく。しかし悔やむことは決してない。
職人が仕上げたものに、生活の痕跡が記されたとき、それは最高に愛着の湧く本当に大切なものになる。僕らの暮らした痕跡が、家族の記憶だけでなく家そのものに刻まれていくのだ。
何かが新たに生まれる前には必ず前夜がある。
前夜はいつも緊張感が張り詰めている。
そんな時は、夜空を眺め、月や星に祈り、その先にある誕生に希望と不安を抱きながら、眠りにつくのである。